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信号待ち

I swept the entrance with the broom.
And I cleaned the kitchen, washbowl and toilet.

昨日、ちょっぴり反省したので。
今朝は玄関と水まわりを簡単にお掃除。
10分くらいなんだから、毎日やれよなー、自分。

さて。
MOCHAは車でもあまりエアコンをつけないのだけど。
先日、いつものように、窓をあけて運転。
信号待ちで、いつものようにヴォイトレ・・・してたら。
隣にとまってる車も、窓をあけてました。

・・・聞かれたな、こりゃ。

慌てて、口を閉じたMOCHAでした。
季節のいいときは注意しないと、向こうもこっちも窓を開けて走ってんだよなぁ。

それにしても。
信号待ちのたびにヴォイトレしたり、食事をしたり、書き物をしたり、なんじゃかんじゃとやることが多いと。
「信号待ちの時間って、短いよなーーー」と、思ってしまう。
最近は、待ち時間の長い信号ってのがわかってきて。
「ここの信号待ちなら、いろんなことが出来るぞ」と思ってしまうのでした。

思えば、セコい時間の使い方だにゃはは。

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半年がすぎ・・・

I had a tranquil day.

「のんびり」って、tranquilなんて聞いたこともないような単語なんだぁ。
でも「のんびりした人」って「a happy-go-lucky person」だって。

今日は日曜日なのに、旦那様はお仕事。
ちぇ~っ。
旦那様とあれしよ、これしよって考えてたのになぁ。
まずは、髪を切ったMOCHAを見てもらって「ぷりてぃ」って言ってもらう予定だったのにぃ(←それが「予定」か)。
一緒にドライブもしたかったのに~。

今日は新メニュー、お野菜がたっっっぷり食べられる「ご馳走サラダ」(こないだテレビでやってた)をする予定で、昨日はそのリハーサルもしたのに~。
新メニューだから、美味しいかどうか、一回作ってみないとわかんないからね。
そしたら美味しかったから、「よし、明日もいちど作って、旦那様に食べてもらお」って思ってたのになぁ。

一緒に見るDVDも決めてたし、お掃除もしたのになぁ・・・。

でもまぁ、その代わりにいつも通りの、のんびりとした一日を過ごした今日でした。
旦那様は働いてるのに、申し訳ないような気持ち・・・。

話は変わるけど、思えばもうすぐ6月も終わり。
一年の半分が過ぎたのねぇ。
MOCHAが「ほぼ日手帳」愛用者なのは、以前書いたんですけど。
「ほぼ日手帳CLUB」で「やろうと思ってたけど、続かなかったこと」を募集してて。

自分の手帳を読み返してみるに。
MOCHAもご多分に洩れず、年頭にいろいろ書いてんのよねー、これが(^^;。

その中で、出来てることというと
「庭でハーブと野菜を育てる」・・・今年はちゃんと、いろいろ育ててます。去年は庭の手入れ、さぼりまくったからね~。
「腰痛改善のストレッチを受ける」・・・これも実行して、そのおかげかどうか知らないけど、腰痛は改善。
「『まごわやさしい』(豆・胡麻・ワカメ(海藻)・野菜・魚・シイタケ(きのこ類)・芋)を採る」・・・一日のうちで全部採れればいいやっていう、ユルいルールだから、これもたいてい実行できてる。
だいたい、朝の根菜カレー&雑穀米だけでも豆・胡麻・野菜・きのこが採れるし。

7割くらいは出来てるかなぁってのが。
「週に一度の休肝日」・・・時々10日くらい続けて飲んでることもあるけど。
「ヨガを習慣にする」・・・習慣ってほどじゃないけど、まぁ、わりとチョコチョコやってる。

ちっとも出来てないのが
「英語、月6000語読む」
「洋服をきちんとハンガーにかける」
「50キロ台になる」
「毎日水回りと玄関を掃除する」
「月に一冊の本・一本の映画」

この「月に一冊の本」ってのは、読書力がつくような、じっくり読むような本のことね。
でも、結局、読みやすい本ばっか読んでるし。
「月に一本の映画」ってのは、MOCHAって映画をほとんど見ないから、その方面も開拓してみようかなって思ったから。
なんでもいいから、なんとなく琴線に触れるようなタイトルのを、月に一本でもちゃんと見てれば、いずれ自分の好みのタイプとかそういうのがわかってくるかなぁとか思ったんだわ。
でも結局、何も見ないまま、半年がすぎております(^^;。

歌に関しては、もう、目標は常に一つだから、年頭にも特に何も決心してないです。

しかしそれにしても。
MOCHAって、何かを「キレイにする」ってのが苦手なんだなぁ。
部屋をキレイにとか、自分をキレイにとか。

・・・ちょっと反省(←今だけ・・・だから、続かんのだな)。

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理由

I had my hair trimmed all over.
I feel so good.

そうか。
髪を切るのも「trim」なのか。
なんか「トリミング」って、ペットの毛を刈ることってイメージだったけど。

さっぱりきっぱり、短く切ってもらいました。
病院も美容院も、お風呂と一緒で、とりかかるまでは「面倒だなー」と思うけど、
「えいやっ」と、やっちゃうと、毎回「あーーー、すっきり気持ちいい~」になるのだな。

さて。
今朝、新聞を見てたら、本の広告の欄に「認められる技術」ってタイトルがあって。
みょーに「だよなー」と思ってしまったり。

以前も書いたけど。
「認められたい」なら「認められる努力」ってもんをしなくちゃなー、と思うのよ。
自分が出来る努力だけしてれば、いずれ誰かがわかってくれる・・・というのは、「いつか白馬の王子が、心のキレイな私を見初めてくれる」ってのと、確率としてはあんまり変わらないような気がするわけで。

逆に、人に認めてもらいたいなんて本当は思ってないのに、周囲から「人から認められないとダメ」なんて価値観を押しつけられて、流されちゃってる人も、世の中、いっぱいいそうだなぁ。
自分のしたい表現と、人にウケる表現が違ってるなんて、当たり前というか、その方が表現者としては普通だとMOCHAは思う。

本当の自分はどっちを望んでいるのか・・・なんて、見極めるのが難しいよね~。
「出来ればどっちも・・・」って、思っちゃうしね。それって、むっちゃ、才能がいるんだけど。
わかりやすく言うと「やりがい」と「お金」のどっちをとるか、とかね。
音楽で言うと「自分の表現」と「集客」のどっちをとるか、とか。
自分が、本当に望んでいるのは、な~に?

「人が何かをするには二つの理由がある。
もっともらしい理由と、本当の理由だ」
J.P.モーガン

あなたがそれをする、もっともらしい理由はなぁに?
そして、本当の理由は、なぁに?

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やがて大きな・・・

My long hair bothers me.
I will go to a beauty shop tomorrow.

あーー、もう髪が首筋とかにべたついて、うっとうしいったら。
もう、切るっっっ!
と決めて、美容院の予約をしようと、スタンプカードを出してきたら。
前回は去年の7月半ばに行っておりました。

毎年、夏になると、髪を切りたくなるんだな。

病院も苦手だけど、美容院も、どーも苦手。
どっちも、どうしようもなくなって我慢出来なくなってから、行くんだよなー。

さて。
昨日、練習前にメンバーと話してたんだけど。
聞いてみると、みんな同じような経験ってしてるんだな~、と。

メンバー「ここ数ヶ月ずっと、もやもやぐにょぐにょしたものの中でもがいてた感じだけど、やっと光が見えてきた。なんか、いけそうな感じがしてきた」
MOCHA「わぁ、良かったじゃん!そういうのってあるよね。ずっとトンネルの中にいたのが、ある時、ふと光が見えるみたいな、ね」
メ「歌の上達って、坂道状態じゃなくて、階段状にあがっていくんだねぇ」
M「そうそう!ずーっと出来なかったことが、ある時、すっと出来るようになったりするんだよね。でも、スランプの時って、もう自分はダメなんじゃないかとか思わなかった?」
メ「思った、思った!全然伸びないどころか、前の方がちゃんと歌えてたのに、みたいな」
M「そうそう。今までの発声法と全然違う筋肉を使うから、いったん、歌えなくなる時期があるんだよね」
メ「あ、なるほど。いつ自分が階段を上れるかわかんないから、しんどくて」
M「そうなんだよねー。でも、スランプの後で階段を一段上がるっていうのを何回か繰り返すと、スランプの時にも大丈夫って思えるようになるよ」

・・・なんてこと言ったけど、スランプのしんどさは変わらないけどね。
でもほんと実感として、自分が急にぐぐっと上達した時って、いつもその前に「全然ダメ」みたいに叱られたり、すごく落ち込むようなことがあったりして、なんとか克服しようともがいた後なんだよね。

だからスランプがきたら「今は、強い逆風の中で、必死に前に進もうとしてる状態だ」って思って。
自分の位置はまったく変わってないようでも、前進しようと努力し続けていれば、しっかり筋肉はついてるはずだから。
ふと風がやんでみると、自分が前よりももっと、はやく力強く前進できるようになってることに気づくはずって。

何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。

と言ったのは、誰だっけ?
けだし名言だわ。

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好きなもの

I got up early this morning.

・・・とまで書いて「二度寝をしようと思ったけど、やっぱり起きた」と続けるつもりが。
「二度寝」って英語でどういうのかわからなくて。
「I tried to sleep again・・・」かな~なんて思いながら、ま、いいや、と。

水やりしたり、ヨガしたり、朝食食べたりしても、まだ8時。
歌いたいな~と思うも、朝の8時はさすがにイカンかな・・・と思って。
うちの近所、静かだしねぇ。
でも、「歌ってて、ふと気づくと夜の11時」なんてことも時々あったりするので、今更何を言うって感じかも。
ご近所さん、ごめんなさい。

一応、窓を閉めて歌ってるんですけど・・・(当たり前ですか、そうですか)。
昨日も汗だくだくで、昼の1時から5時すぎまで歌ってたよ。(エアコンつけなさいって)
・・・そのわりには、今朝の体重、昨日より300グラムほど増えてた(泣)。関係ないか。

思えばこの季節、昼間から夜にかけてなら、他の家の人もエアコンをつけて窓を閉めてくれてる可能性大だよね。
きっと、MOCHAの歌、聞こえてないよね・・・よね、よね。
朝は布団をしっかりかぶるくらい寒いけど・・・。

ま、9時半くらいまでは、歌うのは我慢しよう。

さて。
先日図書館で借りた本「日本人の好きなもの」って、ちょっと面白いよ。
2007年にNHKが全国300地点で、好きな食べ物・動物・植物・スポーツ・音楽・言葉・余暇の過ごし方等々をアンケートしたんだって。
1983年にも同じ調査をしてて、その時との比較も含めて、その結果をまとめてあるの。

また質問事項もこまかくて。
食べ物関連で、好きな「料理」「飲料」「果物」「野菜」までは、まだわかるけど。
「好きな調味料・香辛料は」なんてのもあったりして。
そんなん、改めて考えたことなかったけど・・・MOCHAは「マヨネーズ」かな。

「好きな数字」で1983年は一位が「7」で二位が「8」だったのが。
2007年では一位「7」なのは同じでも、二位は「3」、三位に「8」なのね。
「末広がり」なんて、もうあんまり知られてないのかも。

それにしても「好きな方角」なんてあるかぁ?
あるのかなぁ。

「好きな言葉」に関しては。
1983年ではベスト10入りだったのに、2007年ではベスト10落ちしたのが「誠意」「親切」「努力」「はい」だって。
逆に、2007年に新しくベスト10入りしたのが「やさしさ」「幸福」「元気」「明るい」の4つなんだって。
これに関して、作家の清水義範さんがコラムの中で書かれてます。

***引用***
この4つの言葉からは、私は私のままで明るくふるまうのだから、それを認めて幸せにしてほしい、受け入れてほしい、というような、自己肯定的甘えを私は感じ取るのである。
つまりこの24年で日本人は、「努力」して自分を高めるのではなく、自分はありのままにいるから、それを認めてほしい、という方向へ望みを変えたのかもしれない。
***引用終わり***

あらま。
これって、ここ数日、MOCHAが書いてきたことと同じ?
「自分は変わらず、しかもそれを周囲は認めてほしい」というヤツ。
うーむ。
「自分は変わらない」んだったら、「周囲も変わらないままでいい」ってことだろうし。
「周囲に変わってほしい(自分を認めてるようになってほしい)」なら、「自分が変わる」必要があると思うがなー。

そういえば「好きな健康法」でも。
『上位を見るかぎり、「自分を律する」ものよりは「負担をかけない」健康法が好まれているといえます』と書かれてるし。
努力は嫌われてるのねー。
MOCHAも好きじゃないもんなぁ。

けど「努力」の量って、ほんま、そのまんま「結果」になるんだもん。
「結果」が欲しけりゃ「努力」しかないし、「努力」がイヤなら「結果」はあきらめるのが当然と、つくづく身に沁みる今日この頃だからなー。

それにしても「酒を楽しむ」のも「健康法」なのかなぁ(^^;。気持ちはよーくわかるけど。

などなど、時々パラパラっとみたり、話の種にするには楽しい本でした。
「日本人の好きなもの」データで読む嗜好と価値観 NHK放送文化研究所世論調査部・編 生活人新書

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言行一致

I was busy singing new songs.

演奏会の終わりは、音取り週間の始まり。

というわけで。
演奏会当日に次の曲を頂いておりまして。
またしばらく音取りの日々。

最初の予定では一日2時間半、5日やれば8割くらい音が取れそうかな・・・と思ってたけど。
この調子だと、一日3時間半で、6日って感じだなぁ。
それでも、一日5時間も6時間もかけてた頃に比べたら、ずいぶんと余裕~♪

それにしても、演奏会が終わって、最初の練習。
「演奏会、お疲れさま」の一言もナシってとこが、がぁさんらしくて好きだわ(^^;。
もういきなり「じゃぁ、今日は音取りから」でスタート。

そういえば、去年の12月の一ヶ月間、ソヌムの練習にまったく参加できなかったがぁさんなんだけど。
今年の1月、最初の練習の時も
「しばらくお休みしてて・・・」もなければ
年初なのに「あけましておめでとうございます」すらなくて。
いつも通り「じゃ、〇〇の曲から」って、いきなり練習をはじめたがぁさんに、MOCHAは内心思わず「ナイス!」とニンマリしてしまったわよ。

歌いたい人間にとっては、まことに有り難い指導者だけど。
楽しみたい人間にとっては「無愛想な指導者だなー」になりそうだな(^^;。
がぁさんが時々「ここでやることは、ストレス発散のために歌うようなのとは、全然違います」って言うけど、実に「然り」だなー、「言行一致」だなーと、しみじみ。

さ。
これからも、目標に向けて、頑張るぞぃ。

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楽しみ

It was steaming hot yesterday.
But it's fine and delightful now.

昨日、一昨日とえらく蒸し暑かったのに。
今日はまた、晴れてるわりに、涼しくて気持ちいいわ。
梅雨前線、まだ南の方にいるのかなぁ。

季節がちゃんと来ないと困るけど、でもあの蒸し暑さはかなわんなぁ。

さて。
図書館で借りたレシピ本を見てたら、お味噌汁を大きめのそばちょこに入れてる写真があって。
なんか可愛い~。
なるほど~、そういうのもいいかも・・・とも思ったけど。
MOCHAはやっぱり、取っ手がついた、でっかいマグカップが一番だな。

MOCHAは紅茶も日本茶もマグカップなんだけど。
たまに、湯飲みで日本茶を飲んでみたり。
でね。
以前、たまたま台所に出てた湯飲みで、紅茶を飲もうとして、熱くて持てなくてビックリ。
そうかー。
日本茶の美味しい温度は、紅茶よりずっと低いんだ。
たしかグラム500円以下のお茶は90度、500円~1000円は80度、1000円~1500円は70度とかって(詳しい数字は忘れた)、お茶の値段があがるほど、お湯の適温は低くなるんだよね。

でも、紅茶は100度のお湯で淹れるし、ポットやカップをまえもって温めたりするし、ティーコージーで保温したりするし、なんせ「出来るだけ熱いまま」が鉄則。
だから、湯飲みにつぐと、熱くて持てなくなっちゃうんだ。
なるほどねーーーー、と、カラダで納得。

でも、たまに気分をかえるために、食器を変えてみたり、食べる場所を変えてみたりするのっていいよね。
MOCHAも、たまにはちゃんとしたお茶碗とお碗でご飯とお味噌汁を頂いてみたり。
車の中で、ハンバーガーやお弁当を食べてみたり。
でもま、そういうのって、結局、飽きちゃうんだけど(^^;。

いつものプレート御飯にマグカップのお味噌汁が、やっぱり好きなんだなぁ・・・なんて、改めて感じたり出来て、それはそれで嬉しい気持ち。

でも、たまに違うスタイルで食べて、それが飽きずに定着したら「今のMOCHAはこっちなんだ」って思えて、それも楽しい。
いずれ年をとったら「お茶碗とお碗」スタイルが好きになるかも~。
そんな日もちょっと楽しみだったりして。

「今の自分がいちば~ん好きなのはどれかなぁ」って、いろいろ試してみるのって楽しいよね~。

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腰痛が・・・

My darling made sukiyaki yesterday.
It was well cooked and very delicious.

というわけで。
結局、すき焼きの味付けは旦那任せ。
美味しかった~~~。
二人して、たまにはすき焼きもいいね~ってことになって、今後も登場するかも。

頂いたのが「すき焼き用牛肉(鹿児島県産)」ということで。
結構大きな牛脂もついてたんだけど。
(関西風は、最初に牛脂でお肉を焼くから)
食べ終わってみると、鍋の中はからっぽ。

・・・あのでっかい牛脂、全部、我々のアブラになるのか。うにゅにゅ。

晩御飯の後は、二人でホタルを見に行きました。
全盛期ほどじゃないけど、結構たくさん飛んでましたよ。

土曜日の演奏会の後の打ち上げと、日曜日の夜のすき焼きと、お昼に食べたラーメンで。
今朝は、1.5キロほど幸せ太り(←ちょっと違う・・・だいぶ違う)。

そういえば。
昨日、高いところのものを取ろうとして、ひょいっと背伸びをした途端、腰にピリッと痛みが走って。
それでふと思い出した。
最近、腰痛が消えてたわ・・・。

一時期、寝起きの時だけ、こわばるような、ちょっとした痛みがあった腰なのに。
どんな痛みだったかすぐには思い出せないくらい、腰痛が消えてしばらく経ってる。

スポーツクラブのおかげか、WiiFitのおかげか。
その両方か。
とにかく、ありがたや、ありがたや。

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すき焼き

I'm going to make sukiyaki.
But I don't know how to cook it.

先日、上等のすき焼き用のお肉(冷凍)を頂いて。
本日、すき焼きをする予定。
・・・なんだけど、思えばMOCHAは、すき焼きを作ったことがないのだわ。

子供の頃も、すき焼きってあんまり好きじゃなくて。
作り方にも関心を持たなかったんだよね。

うちの母親って、甘い料理は好きじゃないみたいで。
鯖の味噌煮とか、ひじきの炒め煮とか、すき焼きとか、甘くないのよ。
だから子供の頃は、それらの料理って苦手だったの。

オトナになって、よその料理を食べるようになったりして。
実は、それらの煮物は、普通は甘く炊くものだって知って。
自分でも作るようになって。
今では、鯖の味噌煮もひじきの炒め煮も、すき焼きも好き。
つまり、子供の頃の好き嫌いに目くじらを立てなくても、オトナになれば、食べるものは食べるようになるんだなと、身をもって知ったのでした。

それはともかく。

すき焼きって牛肉でしょ?
どーーーも、MOCHAは大学生の独り暮らしの頃から、「豚肉は贅沢、牛肉はもっと贅沢!」ってイメージかあって。
肉と言えば「鶏に限る」って感覚が抜けなくて。

それでも、豚は少しずつ食卓にのぼるようになったんだけど。
牛肉は滅多に買わないの。
買う時は「今日は、贅沢するぞーーー」って時で。

だもんで、すき焼きも、作ったことないんだわ・・・ってことに、今日気がついたという次第。

旦那が「関西風がいい」というので、ネットで調べたんだけど。
わりと「砂糖・日本酒・醤油、各適量」ってのが多かったり。
そうだよねー。各家庭の味ってもんがあるよね、すき焼きって。
特に、関西風すき焼きというのは、先に牛脂で牛肉を焼き付けておいて、そこへ砂糖をかけて、日本酒ドバドバ、醤油ドボドボ・・・みたいにして作るもんね。

関東は先に「割り下」ってのを作って、それで具材を「煮る」んだよね。
そういうすき焼きも好きだけど。

さ、今晩、我が家初すき焼き。
どんなのが出来ることやら、お楽しみ~。

あ、そうそう。
昨日の演奏会、無事終了。
すごくお客さんが多くてビックリでした。
ありがとうございました。
楽しかった~。

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変転

We are going to hold the concert today.
I hope our efforts bear fruit.

今日はこれから演奏会~。
実は、昨日のレッスンの内容が、歌に対する姿勢みたいなのを改めて考えさせられる内容だったから、余計に感慨深い今朝です。

「音楽に対する意識の差がありすぎる」
「音楽をなめてるんとちゃいますか?」
「素人なんやからそこそこ上手くなればいいやと思ってる人は、このレッスンには来ないで下さい」と。

最初からそういう条件で、レッスンのメンバーを集めていたはずなのに。
意識の差が出てきてしまう。
それが、お互い、しんどい。

ほんま。
いつも、いつでも「音楽に関して、MOCHAは何をしたいの?どこまでやりたいの?」って意識していたいなぁ。

「自分の出来る限りのことを、一生懸命やる」んじゃなくて。
「自分が出来ないと思うことでも、何がなんでもやる」という覚悟が、(このレッスンでは)いるんだよなぁ。

ふわ~、昔のMOCHAと大違い。
昔のMOCHAは「そういうことを考えるのはキライ~」って思ってたもんなぁ。

なんか「一生、車の免許は取らない」って言ってたMOCHAが、コロッと宗旨がえして「車の運転、楽しい~」って言ってるのとおんなじだぁ。
人間って、変わるもんですね~。

というわけで。
演奏会、頑張ってきますね。

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図書館行ったよ

I went to the library to return the books.
Then, I check out some books.

さっき、図書館に行ってきました。
明日が返却日だけど、考えてみたら、明日は演奏会で忙しいんだわ。
(演奏会のご案内はこちら

とある出版社の編集者によると、「本、とくに新書はタイトルが命。いいタイトルが思いつかない時は、出版を延期することもある」とか。
キャッチーなタイトルの例として「さおだけ屋はなぜ潰れないか」を挙げていたけど。
確かに、惹かれるタイトルだよねぇ。

そういえば、最近そういう「なぜ〇〇は××か」みたいな問いかけ調や、「〇〇は××しなさい(もしくは、××するな)」みたいな命令調のタイトルの本が多いね。

さっきの図書館で「部下は育てるな!取り替えろ!!」っていう本があって、思わず笑ってしまったわ。
ビックリマークに気合を感じるなぁ。
「この本が上司の机の上に置いてあったら、あなたは見て見ぬふりができますか」だって。
部下なんか一人も持ってないし、今後も持たないMOCHAでも、なんか気になっちゃうタイトル。
こういう「常識とちょっと違う視点」を提示するタイトルって、好奇心をそそられちゃうなぁ。

かと思えば、違う著者で「部下は取り替えても、変わらない!」なんて本もあったりして。
こういうの、読み比べてみるのも、面白そう。

「取り替えろ」の本のコピーが「勝つ組織を作るために」で。
「取り替えても~」の本のコピーが「今いるメンバーで最強の組織を作る!超マネジメント術」だって。
ビジネスの世界は「勝負の世界」なのねー。
MOCHAには縁遠い世界です。

ま、MOCHAが思うには、どんな方法にせよ(部下を取り替えるにせよ、取り替えないにせよ)、徹底して何かすれば、なんぞ、得るものはあるでしょう・・・ってこと。
あっちもこっちも立てようとして、中途半端にいろいろやっても、中途半端なものしか得られなくて、結局、自分が不満ってことになるのがオチって気がするわ。

「徹底する」とは「第三者から異常だと言われるくらいやること」ってのは、どっかの社長さんの言葉だけど。
人から「変人扱い」されるくらい何かをやれば、そりゃ、何か見えてくるもの、得るものがあるよなー。

そういう世界にも、ちょっぴり憧れるMOCHAでした。

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図星

I reaped a cherry tomato this morning.
It was sweet.

我が家の庭のミニトマト、最初の一個が赤くなったよ。
早速摘んで、その場でパクリ。
甘くて美味しかった~。

さて。
MOCHAの歌仲間が、新しくアンサンブルを作るって話を聞いてて。
その意気込みとかを聞くと、ほんとにいい音楽をやりたいって気持ちが溢れてて。
なんか、こっちまで嬉しくなっちゃったよ。

昔のMOCHAなら「へぇ~、すごいなぁ、そんなに頑張るんだぁ」って、なんかヒトゴトみたいに思ってただろうなぁ。「アタシは、ただ楽しく歌えればいいし~」って。
でも、今なら、なんとか「いい音楽」をつくりたいって気持ち、すご~く共感しちゃう。

ほんま、幸せの形って、その時々で違うなぁ・・・と思う。
ただ楽しく歌うだけの頃もすごく幸せだったし、今の、目標を持ってるMOCHAも同じくらい幸せ。
一人の人間でもそれだけ幸せの形が変わるんだから。
十人いれば、そりゃ十色、ううん二十色くらいの幸せがあるよな~って思う。

自分の幸・不幸の目安の一つ。
他人の幸せをダウンサイジングしてる自分を発見したら、自分はほんとは不幸せ。
たとえばただ楽しく歌ってる人を見て「ちゃんと勉強もしないで歌うなんて・・・」と不愉快に思ったり。
逆に音楽の勉強をしてる人に対して「勉強なんかする前に、楽しく歌うことが大事でしょ?」なんてことを思ったり。

前にも書いたけど、自分が幸せだったら、違う価値観の人もリスペクト出来ると思うもん。

よく見聞きするのが、貧乏な人が「お金でなんでも買えると思ったら大間違いだっ」って怒ってるのとか。
逆にお金持ちでも、自分を幸せに感じられないと、貧乏で幸せそうな人に対して腹がたってしょうがなかったり。

あ、そうそう、「イマドキの若いもんは」ってのも、この例のことが多い気がする。(全部じゃないにせよ)
若さに対する嫉妬。
自分が老いていることへの不幸せ感が、言わせてることが多いんだろうなぁって。

それと、もひとつの目安が、人から「あんた間違ってるよ」みたいに言われた時、反射的にカッとなったら「あ、アタシ今、ほんとは不幸せなんだ」って思う。
逆に思わず「あはは~、だよねー。その気持ち、わかるわかる。でも、これがMOCHAの幸せなもんでー」って笑えたり、「あー、ほんまやー。確かにそうやねぇ」って思えれば大丈夫。

OPEで歌ってた頃、音楽の勉強なんか何ひとつせず、クラシックのCDなんて一枚も持たず。
パレストリーナの名前も知らないMOCHAだったから。
「MOCHAちゃんは、音楽に対して本気じゃないんだよね」みたいに言われたことがあったけど。
「うんっ(^0^)」って元気に言えたのは、その時の自分が幸せだったからだろうなぁ、と、今頃思い出したり。

何かしら忸怩たるものがあったりしたら「MOCHAだって、本気だよっっ」とかって怒ってたかも。

「怒るということは、図星を刺されたということですよ」っていう意味の言葉は、いろんなところで読むけど。
確かにその通りだなぁって思う。
だから反射的に、ムッとしたり、カッとなったりしたら、「あ、今のMOCHAはなんか不幸なんだな。なんか自分の中に問題があるんだな」って思って、点検するクセがついてるMOCHAでした。

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ほんとうの自分

で、こっちは今日書いてます。

My darling and I took a drive yesterday.
The new car rided very comfortably.

先週やって来た車で、昨日もドライブ。
天気もよくて気持ちよかった~。

最近は、毎週日曜日は家に帰ってくる旦那様だけど。
それでも、家でお仕事してるし。
翌朝は6時前には出かけて・・・。
大変だなぁ。やれやれ。

ところで。
今って、わりとみんな「白馬の王子様を待ってる」傾向があったりする?
いや、彼氏の話だけじゃなくて。
なんか「今の自分は、ほんとうの自分じゃない」感ってあったりして。
でもって「ほんとうの自分を発見してくれる人を待ってる」って人、増えてるの?

「本当はキミはお姫様なんだよ」と言ってくれる人、とでも言うか。

昨日書いた「まじめにコツコツやってるのに、むくわれない」って人は。
「童話やアニメの中で、心のきれいな女の子が白馬の王子様に見初められるように、まじめにコツコツだけで誰かが評価してくれるはず」って思ってるのかなぁ、もしかして。

女の子だけの話じゃないよ。
たとえば「自分を正当に評価してくれる上司がいるはず」とか。
「自分にあう会社がどこかにある」とか。
「いつか、自分のいいところを伸ばしてくれる教育者に会えるはず」とか。
「自分の指導にまっすぐについて来てくれる教え子や部下が、いつかあらわれるはず」とか。

ぜんぶ「自分は今のままの努力で」「自分は変わらずに」が条件。
なんか、お金が欲しいから宝くじを買おうっていうのと、おんなじだなぁって思うんだけど。

「ほんとうの自分」って、自分でつくるもんじゃないのかなぁ?
っていうか、その方が幸せ~な気がするんだけどなぁ。

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むくわれない

これ、昨日(6月14日)に書いた分。
アップするヒマがなかったから、今日アップ。

There were many firefly on the river near my house.
I went seeing them yesterday.

昨日の夜8時頃、冷蔵庫にあった残り物でワインを飲んだ後。
もちょっと、なんか、おつまみがあるといいかなぁ・・・と、散歩がてらコープへ行こうと家を出ると。
家の前の土手の木に、小さな光がふわぁ、ふわぁと点滅してるの。
まぁ、こんなところまで、ホタルが来てる!
ということは、今、近所の川にはいっぱいいるに違いない。

と思って、コープへの道を変更して、川沿いへ行ってみると。
まぁ、それはそれはたくさんのホタル。
キレイ~~~。

ホタルを見に来てる人も、いーーーっぱいいたけどね。
みんなよく知ってるなぁ。

さて。
ふと思ったんだけど。
「いいものを作っていれば、きっと、お客様にわかってもらえる」とか。
「まじめにコツコツやってるんだから、むくわれるはず」とか。
そういう信仰みたいなのって、どうだろう・・・。

そういえば以前、新聞の投書に「うちの娘はまじめな努力家なのに、ちっとも就職出来ないなんて、世の中おかしい」みたいなのがあったなぁ・・・。

昨日、音楽のやり方として、自分自身が納得いく音楽をするのが、一番ハードルが高いって書いたけど。
それって、「音楽そのもの」の技術だけの話で。

逆にいえば、それって「自分自身が納得いく音楽」をする努力してればいいだけで。
たとえば、お客様のニーズを調べたり、たくさん宣伝したり、楽しんでもらえる工夫をしたりする努力はしなくていいんだよね。
音楽に対する努力をするだけでいいっていう意味では、「自分自身が納得いく音楽」をするのが、一番「ハードルが低い」「楽」じゃない?

昨日も書いたけど、「お客様に喜んでもらうために音楽をする」のであれば、そっちの努力を怠ってちゃダメだと思う。
ただひたすら「いい音楽をする」だけでは、喜んでくださるお客様は数パーセントじゃないかなぁ。
すごくいいワインを出しても、少数の人がわかるだけ・・・みたいに。
ただし、その少数の人は、ものすごーーーーーく喜ぶんだけど。

つまりね。
「お客様にわかってもらえる」とか「むくわれる」とか、そういう効果を期待するなら、そっち方面の努力もしなくっちゃ・・・って思うんだけど。
「まじめにコツコツ」するだけじゃなくて、それが「むくわれるためにはどうすればいいか」を考えないと。
そこの努力をさぼっておいて「評価されないなんて、理不尽だ」って怒ったってダメじゃないかなぁ。

よく商品開発の人なんかで「こんないいものが売れないなんて、大衆の目は節穴だ」みたいなことを言う人がいたりするけど。
それって、いいものを作る努力「しか」してないからでは?って思ったり。

前になんかで読んだんだけど。
とあるマンガ家さんが、マンガ雑誌に連載する時。
そのマンガ雑誌の過去の読者アンケートで、一位を取ってるマンガの共通点を洗い出して。
その共通点をすべて網羅してるマンガを描いて、それでほんとに自分も一位を取る人気マンガ家になったらしいの。

それって、すごいよね。
自分が何を目指してるか、すごくハッキリしてて。
それにむかって、ちゃんと努力してて。

結構、そこのところ、自分でも自分が何をしたいのか、わかってない人も多いのかもって思う。
歌でも、なんとなく「いい歌を歌って、みなさまに喜んでいただきましょう」って感じでまとまってると。
その団体の個々人の「私は人にほめられたい」「私は歌を究めたい」「私は自分が楽しく歌うことで、お客様にもその楽しさを伝えたい」「私は自分が楽しければいい」等々の思いが、なんとなくうやむやになっちゃう。

団体としての意思とか、世間的なこととか、そういう空気読むのとは別に。
ほんとーは、自分が何をしたいの?って考えて、そっち方面の努力もしないと、いつまでたっても「努力してるのにむくわれない」「みんなにわかってもらえない」ままじゃないかなぁ・・・。

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レッスン

それと・・・。
って、さっき書いた話に関連して、昨日の話も・・・。
(やっぱ、絵を描く人の話って、歌を歌う身にとっても「他人事じゃない」感じがしちゃう)

さっき、「人に評価される絵」から「自分の描きたい絵」へと意識を方向転換した学生の話を書いたけど。
それって、ハードルがぐぐんと上がるよなー、なんて思っちゃった。

歌を歌ってて思うけど。
「発散的にただ楽しく歌う」ってのが、一番ハードルが低くて。
それを「お客様に喜んで頂けるように」となると、ちょっとハードルがあがる。
次に「お客様にお金を出して頂く」となると、もう一段、ハードルがあがる。

人って、「よかったよぉ」「最高でした」「キレイだったわぁ」って声はいくらでもかけるけど。
そして、それはもちろん、本心だけど。
じゃ、今の音楽にいくら出す?っていうと、「うーーーん」となる。
(チャリティコンサートなんかで出すお金や身内の演奏会に対するお金は、純粋に「音楽に対して」だけに出してるわけじゃないから、また別の話)

で、一番ハードルが高いのが「自分自身の音楽をする」ってヤツ。

今、この瞬間も、世界のどこかで何かの音楽に感動してる人や、癒されてる人なんかはいっぱいいると思うし。
今、この瞬間、音楽にお金を払っている人も、きっとたくさんいるだろうけど。

今、この瞬間、「自分自身が心底納得出来る音楽」をしてる人、となると、どのくらいいるだろう。

昨日の練習でね。
メンバーの歌に対して、がぁさんが「どこの合唱団でも、そのくらいのハモりはします。ここでは、もっと質の高いものを目指してます」と言った。
以前も「今のでも十分キレイです。お客さんにもキレイと褒めてもらえます。けど、もっとキレイになります」って言ったことがある。

「どこの合唱団でも出来るくらいのハモり」でも・・・いや、そこまで到達してなくてさえ、十分に「お客様に喜んで頂ける歌」になるってことは、もう何度も経験済み。
昨日の「どこの合唱団でも出来るくらいのハモり」なら、そこそこお金を出して頂くことだって出来るレベルだったと思う。

でも残念ながら「自分が納得出来るハモり」には、かなり遠い。
かなーーーり遠い(泣)。

はっきり言って、95%くらいのお客様には気づかれないレベルの話だと思うし。
(ただ、この違いは、お客様の潜在意識には働きかけるはずだと、MOCHAは思ってます。サブリミナル効果みたいにね)
前にも書いたけど、「お客様に喜んで頂くため」なら、他のこと(わかりやすいこと、目に見えること)に力を入れた方が絶対いい。

けど。
やっぱり、それが欲しいんだもん。
・・・ってなメンバーばかりでやってるのが、昨日の練習(合唱団ではなく、レッスン)なのでした。

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写真うつり

It's clear today.
The rainy season takes a long holiday.

梅雨が始まったかと思えば、はやくも「中休み」って・・・。

今日の朝日新聞に載ってた落合恵子さんのエッセイに
「自分は写真うつりがいいと言うひとに今まで会ったことがない」
と書かれてたけど。

アタシって、写真うつり、かなりいいと思うんですけどぉ。
免許証の写真なんて、みんなに「実物より可愛い」と言われてるし。
家に飾ってある写真の中にも「これは詐欺や」って言うくらい、可愛く写ってる写真があるのよ。(38歳の時の写真)

「写真うつりがいい」なんて、なんの得にもならんけどさー。

さて、話は変わって。
先日書いた「ほめるな」って本に、絵画の道に進む学生の話が出てきました。
その学生は、中学・高校の美術の先生、美術専門の予備校の先生にずっとほめられ続けて、そのおかげで絵を描く意欲が持続したし、大学の美術コースに進学できた・・・と。

ところが、彼はスランプにみまわれます。
なにを描いたらいいかわからない。本当に自分が描いているという実感がない。
そもそもなんのために描いているのだ・・・。
絵を描くことの意味を見失い、まるで描けなくなってしまう。

そして、悩み苦しんだ後、気づいたといいます。
自分は「ほめられる絵」を描こうとばかりしてきた・・・と。
評価の目ばかり気にして、自分の描きたい絵が描けないんだと。

幸いなことに、彼は時間をかけて再出発したということですが。

ここでもやっぱり「ほめる教育」に問題あり的に書かれてるんだけど。
でも、少なくともこの学生が美術の道に進むキッカケを作ったのは、「ほめられた」っていう経験だよなぁって思うんだけど。

もし、この学生が本格的に絵の道に行こうなんて考えずに、絵がとっても上手なサラリーマンになってたとしたら。
お休みの日に子供と一緒に絵を描いたりして、自分の子供に「パパってとっても絵が上手~」って尊敬されるお父さんになってたりして。
それはそれで、とっても幸せでしょう?
その幸せは、ほめる教育がなければ得られなかったかも。

というのも、MOCHAも歌を歌ってて。
「とにかく楽しく歌いたい」っていう時期と、「こんな風に歌いたい」っていう、はっきりした目標がある今じゃ、歌に対する気持ちとかって全然違うし、幸せの形も違う。
「楽しく歌いたい」って時期に「叱って伸ばす」人に出会っても、MOCHAには意味がなかったと思うし。
「こんな風に歌いたい」って時に「叱らない」人に指導してもらっても、自分がどこを歩めばいいかわからなくなることは目に見えてる。

この学生も、最初は絵を描くことが楽しくてしょうがなかったんじゃないかな。
その時期は、ほめられることで伸びていった。
でも、本格的に絵の道に進みたいと思うと、「自分の絵」ってものがよくわからなくなってることに気づいたって感じじゃないかなぁ。
ここへきて、ほめられることが逆に弊害になった。

MOCHAの場合は、奇跡的なタイミングでTAKAちゃん先生に出会い、がぁさんに出会ったわけで。
この学生みたいなスランプってなかったけど。
こんな風にスランプに陥って、じっくり考えて答えを出すって作業だって、とっても自分の役に立つことだと思うのよね。

結局、「ほめる教育」が役に立つときもあるし、弊害になるときもある。
子供のうちは、親も先生も選べないけど。
オトナになったら、教育される側にも教育者を選ぶ権利があるんだから。
「指導のせいで自分が伸びない」なんて文句はナシ。
その都度、その都度、今の自分に一番あった教育ってどんなの?って自分で考えたり。
過去の教育に歪みがあったと思えば、今からでも全力で自分で修正したり。

このE君だって、自分で悩んで苦しんで、自分で答えを出して、再出発した。

自分のアタマで考えて、自分のアシで歩こう。
自分を幸せにするのは、自分だよ~・・・って、MOCHAは思うんだなぁ。

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自分の意思

So what?

だいぶ前。
自分ツッコミの「だから何?」を「But Why?」、つまり「でも、なんでそんなこと言うの?」みたいに英訳してみたけど。
先日、本を読んでたら、出てきました、「でも、それがなんだって言うの?」っていうヤツ。
それが「So what?」。
なるほどーーー。

ま、MOCHAのブログって、全編「So what?」なハナシばっかだけどさ。
・・・ほっといてちょーだい。

昨日、練習の後、シャワー浴びて、お酒も飲まずに11時すぎには寝たのに。
今朝、ふと目を覚ますと、8時すぎ。
9時間ほど寝てたんだ。
自分でもビックリ。

予定では6時くらいに目が覚めるはずだったのに、おかしいなぁ。
まぁ、スッキリ元気だから、よしとしましょう。

こないだラジオで(といっても、ネット配信を聞いてるんだけど)「最近の若者は他罰的になってる」という話を聞きました。
つまり、何か不都合なことが起きた時、「自分が悪い」のではなく「周囲が悪い」と、責任を自分以外のものに転嫁する若者が増えたとか。

いやーー、これって、前に書いた「今のままのキミでいいよ」的雰囲気の結果って気がするんだけどなぁ。
ケータイ小説が流行りだした頃も、どの小説もみんな悩む主人公に「今のままのキミが一番」的エンディングが待ってるってのばかりだったって話も聞くし。
流行り歌なんかも「頑張ってるキミが素敵」的なのをよく聞くし。

となれば当然、「自分に不都合が起きた」→「自分は今のままでいいはず」→「ありのままの自分でいけなくしてる周囲が悪い」という経路をたどったとしても、不思議じゃないと思うんだよね。

ってなことを考えてたら。
先日、図書館で借りた本で「ほめるな」 伊藤進・著 (講談社現代新書)で、同じようなことが書かれてました。

まじめなんだけど、いまひとつ意欲というか自発性が感じられない学生のC君。
免許取得のための一週間の実習先から「C君、まるでやる気がないね。だめだわ、それじゃ」と何度も言われたとか。
著者は、C君のふだんの学習態度から「まぁ、そう言われるだろうなぁ。これから卒業して社会に出ると困るだろうなぁ」と憂慮していたところ。
C君から「やる気がないとか言われて、ますますやる気をなくした。いいところを見つけていってくれれば、少しはやる気が出たのに」と言われて、絶句。

二十歳をすぎた青年が「いいところを見つけてもらわないと、やる気が出ない」という状態になってしまったのは、「ほめる教育」の弊害だ・・・と。
(この本はタイトルの通り「ほめる教育の問題点」を指摘している内容です)

うーーーーーん。
まぁ、弊害といえば弊害だけど。
でも・・・若者が「他罰的」であったとして、結局、損をするのは若者自身・・・だよね。
というか、「他罰的」だと問題解決しにくい(つまり他人をかえるのは難しい)から、自省して努力するより、結局しんどかったりする。
そこに気づけば、そこからまた自分を変えられると思うのよね。

考えるのがキライだったり、気づいても「努力するくらいなら、他罰的しんどさの方がマシ」と感じたりするなら、そのままでもいいし。
オトナになったら、自分の生き方って、自分で選べるじゃんって思うのよ。

さっきのC君だって、社会に出て「誰も褒めてくれないなぁ。やる気が出ないなぁ」ってことが続いて「このままじゃ、マズイなぁ」って思えば、その時から変えればいい。
マズイなぁって一生思わなければ、そのままでもいい。
だからって、今の状態をほっとけばいいってことじゃないよ。
そのままだとこういう将来が待ってる可能性が高いよと、教えてあげる必要はあると思う。
でも、どっちを選ぶかは、本人次第だもん。
それこそ、二十歳すぎてるんだから。

その次の例に出てくるのは、「ほめて育てるD先生」と学生に慕われる、とある大学の先生のお話。
D先生は、学生のいいところを見つけて褒めるだけでなく、たいていのことは受け入れてくれるんだそうで。
この先生のゼミは、学生に人気のゼミなんだそうです。
卒論や修論のテーマも学生の興味次第でなんでもあり。D先生の専門と関係なくてもOK。
まぁ、結果はご想像の通り、卒論や修論の「粗製乱造」になってしまう。
学生も、研究スキルを身につけずに卒業していく。

と、ここまではMOCHAでもわかる。
けど、だからと言って「D先生が悪い」とは思えないんだよなぁ。

だって、学生が自分で選んでD先生のゼミに行ってるワケでしょ?
学生に「人気」なワケだし。

前にも書いたけど、大学の教員が「教育者」である必要って、ないとMOCHAは思うのよね。
もしかしたら、このD先生、学生にかまけてる時間があったら、自分の研究をしたいとか思ってるかも。
だから、学生にはテキトーにゴキゲンになっておいてもらって、自分の時間を作ってるのかも。
だとしたら、それはそれで、立派だと思う。
そういう先生を選んだのは、学生の方だもん。
(もちろん「自分のゼミは、ちゃんとした研究をさせます」って触れ込みでゼミ生を集めてたりしたら、詐欺だけどね)

もしかしたら、D先生、「学生に人気の先生になりたい」って思ってるのかもしれない。
それが給料の額とか出世とかに影響するのかもしれないし。
それならそれで、目標を達成してるから立派。
何度も言うけど、その先生を選んでるのは学生の方だ。

もしD先生が「自分はきちんとした研究が出来る学生を育てたいのに、学生の質が悪いから出来ない」とか思ってたら、それはD先生の思い違いというか、「自業自得じゃないの?」と言いたいけど。
「学生の質が悪いんじゃなくて、質の悪い学生を、自分で引き寄せてるんじゃないの?」って。

でも、そうでなくて、D先生が自分の思う成果として、レベルの低い卒論等を折り込み済なら、周囲がD先生に対してとやかく言う必要はないと思うのよね。

学生に対して「D先生のゼミは、こういう結果が出るゼミだよ」と、前もって教えてあげる必要はあるかもだけど。
それだって、学生が知りたいとも思ってないんなら、わざわざ教えてあげる必要もない気がする。
自分がちゃんとした研究したいと思ってたら、そういう先生を自ら探すよ。
そういう「いい意味での抜け目のなさ」って、結構、みんな持ってるような気がするの。

オトナになったら、自分がどんな人生を歩みたいか決めるのは自分だし。
どの道を行くか選ぶのも自分だし。
「褒められないと動かない」っていう自分になるのも、自分の意思だよなーって思うんだけどなぁ。

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朝カレー

It seems to have become rainy season.

「最近、甘いものが欲しくなる時がある」ってなことを英語で書こうとして、断念しました(^^;。
なんか、今(午後4時)、なんとなく「ドーナツ」とか「チョコレート」とか「大福もち」とか「菓子パン」みたいなものが、食べたいような気持ち。
まぁ、家に買い置きが何もないから、別にいいけど。
(甘いものだと、これくらいの執着しかないけど、これが「なんかワインが飲みたい気持ち」になったら、雨の中でも買いに行くと思う)
最近、時々、午後3時から5時くらいの間に、「なんか甘いものがあるといいな」と思うことがあるのよね。
今まで、そういうことって、あまりなかったんだけど。

雑誌に「お肉をあまり食べないと、なんとかアミノ酸だかなんだか(←うろおぼえ)が足りなくなって、甘いものが欲しくなることがある」って書いてあったのを、昔、読んだ気がする。
・・・けど、普通に食べてるから、関係ないか(^^;。

最近、朝、カレーを食べるのにハマってて。
それを旦那に言ったら「イチローみたいやな」って言われたんだけど。
MOCHAのは「根菜カレー」。

「筑前煮用の野菜キット」ってのがあって。
ごぼう・たけのこ・人参・れんこん・こんにゃく・しいたけが、それぞれカットして下煮した状態で入ってるのね。
普通は、それにお肉を加えたりして、筑前煮にしたりするんだけど。

MOCHAは、週に一度、玉葱とお肉(少なめ)と、その筑前煮野菜を使って、カレールーを入れる前の状態まで作りおき。
毎朝、そこから具と煮汁を足して200ccになるように取り分けて、温めなおしてルーを一かけら入れて、十六穀米(160gずつに小分けにして冷凍してあるのを、チンする)にかけて食べるの。
日によっては、蒸し大豆を加えたり、季節の野菜(今なら茹でたアスパラとか)を加えたり、カイエンペッパーでさらに辛くしたりして。

それと、果物と野菜と豆乳をミキサーにかけた「豆乳野菜ジュース」が、最近の朝御飯です。
根菜カレーと豆乳ジュースで、だいたい500キロカロリくらい・・・な、はず。
簡単で、ヘルシーっぽくて、結構お気に入りの朝御飯なので~す。

・・・だから、何?

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Happy Birthday

My darling bought a new car.
We went for a drive yesterday.
His car gets good mileage.

「燃費がいい」ってのは「good mileage」なのね。

旦那様の車、車検の時期が来たので、新しい車に買い換え。
新しい車が来る前に、車検の日が来ちゃったので、ここ2週間ほど、車ナシだった旦那様。
駅までの送り迎えはMOCHAがやってました。

で、昨日、新しい車がやってきましたよ~。
えとー、なんて車だったかな・・・。そーゆーの、疎いもんで(^^;。
とにかく、今回もスズキの軽自動車です。
うん、なかなか、かっこよい(^0^)。
早速、二人でドライブ。楽しかったよ。

6月6日が旦那様の誕生日だったから、この車は、ある意味「誕生日プレゼント」みたいなもんだね。

夜はちょっと贅沢して、和牛でローストビーフを作っちゃったり。
旦那様のリクエストで「鰺のフライ」を作って、その時出たアラで、お味噌汁の出汁をとったり。
ほうれん草のサラダやら、アスパラやキュウリでスティックサラダにしたり、トマトを添えたりして、野菜もたっぷり。
そんな、旦那様のお誕生日パーティメニューでした。

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損得抜きで

I love a human who brings up somebody,regardless of profit.

なんだかんだ言って、結局MOCHAは、「損得抜き」で人を育てちゃう人が好きみたい。

よくある「人心掌握術」とかは、結局、「自分のため」に人を動かす方法だったりすることが多い気がする。
「部下を褒めて伸ばす」なんてのも、結局、「褒めて、上手に働かせる」ってことだったりする。
もちろん、部下の方だって、承知の上で褒められるワケだからいいんだけどね。
褒められて、働かされて、結局「使い捨て」されたところで、自分の責任だし。

「人を叱る」ことが出来る人は、自分が傷つくこと、相手も傷つくかもしれないこと、「優しい」人に自分が非難されるかもしれないことなんかを全部ひっくるめて、それでも、相手のためを思えるところがスゴイと思う。
自分が損をひっかぶってでも、相手に得をさせてあげたいってところがね。
(「怒る」人は違うよ。「叱る」人ね)

前に書いた「変人」のように、自分のやってることにとことんハマって、何も教育してないのに、その姿で自然と人を育てさせちゃう人もスゴイ。
こういう人は、損得どころか、自分が人を育てたって自覚もないところに参っちゃう。

どっちもスゴイと思うから。
「教育者」もスゴイし、「変人」もスゴイ。

どっちもなかなか世間に評価されないから、不遇をかこつ場合が多いんだろうなぁと思うのよね。
やっぱり、それこそ「今のままのキミでいいよ」的な人が、もてはやされるし。
社会的に上手くやっていこうと思うと、人から嫌われそうなことは避けないといけないし。
損得抜きで何かするなんて、なかなか難しいし。
「褒めて動かす」人が、動かされてる人たちのエネルギーを使って、大きくなっていくわけだし。
(思えば、社長とかやってる人なんて「人を褒める」天才だったりしない?でも、その「社長」は人から褒められて褒め倒されて、ゴキゲンで出世したわけじゃなかったりするんだよね。その辺が「人を使う人」と「人に使われる人」の差なのかな)

だからこそ、それをやっちゃう人って、なんか「かっこいいなぁ」と思うMOCHAなのでした。
だって、MOCHAには出来ないことだもん。

さて。
今日はヴォイトレだぁ。
「尊敬すべき変人」の師匠に、一歩でも近づくべく。
頑張ってきま~す。

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大丈夫、大丈夫

It became a little cooler because of the rain.
Fireflys must be cheerful.
I'm going to go watching them tonight.

ホタルって、雨が降った後に元気になるらしいから。
今晩は、たくさん飛んでるかなぁ・・・。
だけど、「ホタルが元気になる、たくさん飛び回る」ってニュアンス、英語にしろっていわれても、イマイチわかんないなぁ。
これだと「ホタルたちが快活になるにちがいない」みたいな感じかしらん??

なんか、ずっと「教育話」の今日この頃だけど。
そういえば「かわいそうだからペットにしつけをしない」って人の話を聞いたことある。
「自由に育ててる」みたいな感じ。

んーーー。
「自由」って何?

MOCHAが尊敬する人は「サリバン先生」って書いたけど。
ヘレン・ケラーの話を知ったのは、実はマンガ「ガラスの仮面」。
(いや、その前にうすうすは知ってたかもだけど)
あのマンガの中で、主人公が舞台でヘレン・ケラー役をするワケだけど。

その舞台の中での話だから、実話かどうかは知らないけど。
三重苦のヘレンは、サリバン先生が来るまで、しつけらしいしつけをしてもらえてなくて。
食事中でも、うろうろと歩き回って、誰のお皿からでも取って食べてよいことになってて。
しかも、手づかみで。
サリバン先生は、それを、なんとかテーブルにつかせ、スプーンで食事をさせようとするの。

ヘレンが他のお皿から食べ物を取ろうとすると、サリバン先生はその手を押さえつける。
ヘレンはギャーギャー暴れる。
ヘレンもサリバン先生も、取っ組み合い、傷だらけになって戦う。
文字通りの「大格闘」の末、ヘレンはテーブルにつき、スプーンで食事をすることを覚えるのだけど。

周りで見てるヘレンの身内が、戦ってるサリバン先生に
「サリバンさん。もし憐れみの心があなたにあるなら、もう少し自分の生徒のことがわかってもいいんじゃないかね」
って言うのね。
もうちょっと、やさしくしてやれって。

そこでサリバン先生は言うの。
「わたしがなにを憐れんでいるかいいましょうか?
一生の間、この子にとって太陽は昇りもせず、沈みもしないのに
あなた方はいつかどうにかなると毎日言ってるんです!
あなた方がお墓にはいってしまったら、そんな憐れみがいったい何の役に立つんです?!
あなた方はそうやった方が都合がいいんです。
この子に何か役に立つことを教えるより、かわいそうがってるほうが、めんどうくさくない。
そうじゃありませんか?」

このサリバン先生によって、ヘレンは言葉を知り、より「自由」になった。
もし、「憐れみ」によって、何も教えられず「自由」に育てられてたら。
言葉も知らず、人間らしいふるまいも出来ず、「不自由」な人生を送ってたはず。

ペットだって。
なんのしつけもされてないと、どこにも連れて行くことも出来ない。
迂闊に他人に会わせることも出来ない。
限定された状況でしか生きられない。

つまり「しつけをされる」ことによって、より「自由」になれる・・・と思う。

うん・・・。そこまではいいとして。
相手をより「自由」にしてあげるために、自分をどれだけ犠牲に出来るかっていうと・・・。
やっぱり、難しいよなぁぁぁ。

やっぱり「そんな風に言うのはかわいそう」とか。
「そこまで言わなくても」とか。
「相手を傷つけるのはよくない」とか。
・・・そんな言い訳をしたくなっちゃうし。

「キミは頑張ってるよ」
「キミはキミのままでいいんだよ」
「そのままのキミでいい」
みたいなフレーズが、今すごく流行ってるけど。
まぁ、普通、そうなるよねーーー。

だって、とりあえず、誰も傷つかないし。
「いい人」に見てもらえるし。
それで相手がダメになっても、責任とらなくていいし。

歌だってそうだよね。
「なかなか音が取れなくてごめんねー」
「ううん、頑張ってるよー。大丈夫、大丈夫~」
って。
それで相手が安心して、上手くなれる芽をつぶしたって、別に「大丈夫」って言葉に責任とる必要ないもんね。
でもって、サリバン先生の言葉のように、みんなで「いつかなんとかなる。頑張ってれば、いつか上手になる」みたいに思っておくのよね。

MOCHAだって、相手が本気だってわかれば、「ここが悪いと思うよ」って言うけど。
そうじゃなきゃ、やっぱり「大丈夫だよ~」って言っちゃう。
「頑張ってれば、大丈夫だよー」みたいな。

んーーー。
やっぱMOCHAは「教育者」には、絶対、なれないわー。

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タフな心

I watched fireflys on the river near my house.
It seems to have become summer.

昨夜、コンピニに行く途中の川沿いで、親子連れによく出会うから、何かと思ったら。
ホタルが飛んでいました。
あー、そういう季節かぁ。

今、日本で「教育」と言うと、MOCHAが最初に思い浮かべるのは「斎藤孝」さんかな。
「声に出して読みたい日本語」の人ね。
専門が「教育学」で、先生になる人を育てる人だから、教育者を教育する人だものね。

その斎藤さんの著書「グッとくる「はげまし」言葉」(文春文庫)のまえがきで。

大人が手加減なしで全力で発した言葉には、危険がある。受け手が取れなければケガをする。言葉を発した大人にも誤解され嫌われるという危険がある。
愛のある説教は、嫌われる危険性を引き受けている点で、得がたいはげまし言葉だ。しかし、そうした厳しい言葉を「はげまし」と捉えて受け止めるだけの心のタフさが欠けてきている。大学の授業でも最近強くそれを感じる。
でも僕は、そうしたゆるさだけしか受けつけない心の傾向に迎合はしたくない。期待をしているからこそ、はっきり言う。お互いに「張り」のある心でキャッチボールをしたい。

と書かれています。

「今の若者に心のタフさがない」というのは、しょっちゅう聞く話。
斎藤さんが「教育者」なところは「でもそれに迎合しない」というところ。
嫌われるかもしれない、相手を傷つけるかもしれないと、わかっていながら、それでもはっきり言うところ。
MOCHAには真似出来ないよなーって思う。

MOCHAが思うに。
「今の若者に心のタフさがない」のは、大人が「賢く」なったからじゃないかなぁ。
つまりね。
「これを言うと、相手が傷つくかも」っていう想像が、昔よりもしやすくなってるんじゃないかなぁって。

「昔の人はよその子でも叱ってた」とか「頑固オヤジやガキ大将がいなくなった」とか言うけど。
他人に説教してた「昔の人」の中には「相手が傷つくことや自分が嫌われることに無頓着」だから「叱ることが出来た」ってだけの人もたくさんいたんじゃないかなぁ。

でもって、今の大人は「これを言うと相手が傷つくかも」とか「自分が嫌われるかも」ってことを、すぐに想像してしまって。
「叱ること」を躊躇する。

それを想像して、なお、相手のために(つまり、自分を犠牲にして)叱れるようになるには、それこそ「心がタフ」でないと出来ない。
もしくは、よっっっっぽど相手が大事か。

つまり、「心のタフさが欠けてる」のは、若者じゃなくて、叱ることの出来ない大人の方なのかもって思う。
だって、MOCHAだって、「人を叱る」なんて面倒なこと、ヤだよ~。

だから「ともだち親子」で、叱らない親が増えたり。
子供に迎合する先生や、教育をあきらめた先生、部下を叱れない上司なんかが増えたりして。
若者の心を鍛える機会がなくなって、若者が心のタフさをなくしちゃう。

そういう人で溢れる世界って、ある意味「おだやかな、ゆるやかな世界」ではあるよね。
「ギラギラしたハングリー精神」なんかとは、正反対の世界。
どっちがいいかは、人それぞれ。

余談だけど。
この本に出てくるいろんな「はげまし」の中で。
一番エネルギーを感じたものをご紹介。

中学生の女の子を好きになった男が、その子の家に毎日いたずら電話をかけてしまうという「人生相談」に対する、今東光さん(天台宗大僧正)の答え。
「自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。23歳にもなってそんな電話かけたりするバカなら、自首するより死んだ方がいい。自首すりゃぁ、恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。切に自殺をお勧めいたします」

お見事!

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