So what?
だいぶ前。
自分ツッコミの「だから何?」を「But Why?」、つまり「でも、なんでそんなこと言うの?」みたいに英訳してみたけど。
先日、本を読んでたら、出てきました、「でも、それがなんだって言うの?」っていうヤツ。
それが「So what?」。
なるほどーーー。
ま、MOCHAのブログって、全編「So what?」なハナシばっかだけどさ。
・・・ほっといてちょーだい。
昨日、練習の後、シャワー浴びて、お酒も飲まずに11時すぎには寝たのに。
今朝、ふと目を覚ますと、8時すぎ。
9時間ほど寝てたんだ。
自分でもビックリ。
予定では6時くらいに目が覚めるはずだったのに、おかしいなぁ。
まぁ、スッキリ元気だから、よしとしましょう。
こないだラジオで(といっても、ネット配信を聞いてるんだけど)「最近の若者は他罰的になってる」という話を聞きました。
つまり、何か不都合なことが起きた時、「自分が悪い」のではなく「周囲が悪い」と、責任を自分以外のものに転嫁する若者が増えたとか。
いやーー、これって、前に書いた「今のままのキミでいいよ」的雰囲気の結果って気がするんだけどなぁ。
ケータイ小説が流行りだした頃も、どの小説もみんな悩む主人公に「今のままのキミが一番」的エンディングが待ってるってのばかりだったって話も聞くし。
流行り歌なんかも「頑張ってるキミが素敵」的なのをよく聞くし。
となれば当然、「自分に不都合が起きた」→「自分は今のままでいいはず」→「ありのままの自分でいけなくしてる周囲が悪い」という経路をたどったとしても、不思議じゃないと思うんだよね。
ってなことを考えてたら。
先日、図書館で借りた本で「ほめるな」 伊藤進・著 (講談社現代新書)で、同じようなことが書かれてました。
まじめなんだけど、いまひとつ意欲というか自発性が感じられない学生のC君。
免許取得のための一週間の実習先から「C君、まるでやる気がないね。だめだわ、それじゃ」と何度も言われたとか。
著者は、C君のふだんの学習態度から「まぁ、そう言われるだろうなぁ。これから卒業して社会に出ると困るだろうなぁ」と憂慮していたところ。
C君から「やる気がないとか言われて、ますますやる気をなくした。いいところを見つけていってくれれば、少しはやる気が出たのに」と言われて、絶句。
二十歳をすぎた青年が「いいところを見つけてもらわないと、やる気が出ない」という状態になってしまったのは、「ほめる教育」の弊害だ・・・と。
(この本はタイトルの通り「ほめる教育の問題点」を指摘している内容です)
うーーーーーん。
まぁ、弊害といえば弊害だけど。
でも・・・若者が「他罰的」であったとして、結局、損をするのは若者自身・・・だよね。
というか、「他罰的」だと問題解決しにくい(つまり他人をかえるのは難しい)から、自省して努力するより、結局しんどかったりする。
そこに気づけば、そこからまた自分を変えられると思うのよね。
考えるのがキライだったり、気づいても「努力するくらいなら、他罰的しんどさの方がマシ」と感じたりするなら、そのままでもいいし。
オトナになったら、自分の生き方って、自分で選べるじゃんって思うのよ。
さっきのC君だって、社会に出て「誰も褒めてくれないなぁ。やる気が出ないなぁ」ってことが続いて「このままじゃ、マズイなぁ」って思えば、その時から変えればいい。
マズイなぁって一生思わなければ、そのままでもいい。
だからって、今の状態をほっとけばいいってことじゃないよ。
そのままだとこういう将来が待ってる可能性が高いよと、教えてあげる必要はあると思う。
でも、どっちを選ぶかは、本人次第だもん。
それこそ、二十歳すぎてるんだから。
その次の例に出てくるのは、「ほめて育てるD先生」と学生に慕われる、とある大学の先生のお話。
D先生は、学生のいいところを見つけて褒めるだけでなく、たいていのことは受け入れてくれるんだそうで。
この先生のゼミは、学生に人気のゼミなんだそうです。
卒論や修論のテーマも学生の興味次第でなんでもあり。D先生の専門と関係なくてもOK。
まぁ、結果はご想像の通り、卒論や修論の「粗製乱造」になってしまう。
学生も、研究スキルを身につけずに卒業していく。
と、ここまではMOCHAでもわかる。
けど、だからと言って「D先生が悪い」とは思えないんだよなぁ。
だって、学生が自分で選んでD先生のゼミに行ってるワケでしょ?
学生に「人気」なワケだし。
前にも書いたけど、大学の教員が「教育者」である必要って、ないとMOCHAは思うのよね。
もしかしたら、このD先生、学生にかまけてる時間があったら、自分の研究をしたいとか思ってるかも。
だから、学生にはテキトーにゴキゲンになっておいてもらって、自分の時間を作ってるのかも。
だとしたら、それはそれで、立派だと思う。
そういう先生を選んだのは、学生の方だもん。
(もちろん「自分のゼミは、ちゃんとした研究をさせます」って触れ込みでゼミ生を集めてたりしたら、詐欺だけどね)
もしかしたら、D先生、「学生に人気の先生になりたい」って思ってるのかもしれない。
それが給料の額とか出世とかに影響するのかもしれないし。
それならそれで、目標を達成してるから立派。
何度も言うけど、その先生を選んでるのは学生の方だ。
もしD先生が「自分はきちんとした研究が出来る学生を育てたいのに、学生の質が悪いから出来ない」とか思ってたら、それはD先生の思い違いというか、「自業自得じゃないの?」と言いたいけど。
「学生の質が悪いんじゃなくて、質の悪い学生を、自分で引き寄せてるんじゃないの?」って。
でも、そうでなくて、D先生が自分の思う成果として、レベルの低い卒論等を折り込み済なら、周囲がD先生に対してとやかく言う必要はないと思うのよね。
学生に対して「D先生のゼミは、こういう結果が出るゼミだよ」と、前もって教えてあげる必要はあるかもだけど。
それだって、学生が知りたいとも思ってないんなら、わざわざ教えてあげる必要もない気がする。
自分がちゃんとした研究したいと思ってたら、そういう先生を自ら探すよ。
そういう「いい意味での抜け目のなさ」って、結構、みんな持ってるような気がするの。
オトナになったら、自分がどんな人生を歩みたいか決めるのは自分だし。
どの道を行くか選ぶのも自分だし。
「褒められないと動かない」っていう自分になるのも、自分の意思だよなーって思うんだけどなぁ。
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