教養脳
The church bazaar will be held today.
I'm going to take part in the charity concert.
本日は夙川カトリック教会でバザーがあります。
12時半くらいから、テレジアが30分ほど演奏します~。
さて。
昨日書いた話は、結局アタシって「変人を淘汰しないでほしいな」って思ってるってことなのかしらん。
「変人でも生きやすい世の中だといいな」って。
「変人」ってなれるもんじゃないから。
(そもそもそ「変人」は自分のこと「変人」とは、つゆほども思ってないと思うし)
逆に「治せる」もんでもないと思うから。
周りの人も、そのつもりでいてあげて・・・みたいな。
「エライ人は教育者であるべき」ではなくて。
「変人でもエライんだよ」って。
当たり前の話だが「変人もエライ」けど「教育者もエライ」。
というか。
「尊敬する人」で最初に思いつくのが、MOCHAの場合「サリバン先生」なの。
ヘレン・ケラーを導いた先生ね。
よくある「ダメダメだった集団(もしくは個人)をよみがえらせた指導者」みたいなドラマも、わりと好き。
(最終的に涙を流させる系になるから、つまんなくなって見ないんだけど、その立ち直らせる過程には興味ある)
人を導く力って、すごいと思う。
テレジアも、以前は練習時間になっても人がきてなかったり、今日は出席者が少ないねーみたいな、家で楽譜を開かないような、普通に楽しく歌うコーラス同好会だったのが。
今じゃ、練習の10分前くらいにはみんな揃ってるし、欠席する人は連絡が入るし、家で練習するのが当たり前だし、実力も比べ物にならないくらい上達してるし、メンバーもどっと増えたし・・・みたいになったけど。
それって、べつに「がぁさんが優秀な教育者だったから」じゃなくて。
ただ単に「がぁさんが自分の音楽に本気だった」ってだけだと思う。
つまり「社会人としてどーか」みたいな発言もついやっちゃうくらい、どーしても「音楽が好き」だったってことだと。
でも「優秀な教育者」でも、同じ結果は得られると思うんだよね。
「教育」の力で、人をやる気にさせて、歌の実力をあげさせることだって、きっと出来ると思う。
誰かを導くという点においては、「変人」だろうが「教育者」だろうが、どっちでも結果は同じって気がする。
親であるってことも同じかなぁ。
つまり、親は子供に対して教育らしいことは何もせず、ただ単に「子供に『はやくあんな大人になりたい』って思わせる親」であってもいいし。
教育によって、より幸せと思われる方向に導く親であってもいいし。
だから「大学の教員」が「教育者」でもいい。
でも「教育者」でなければ「大学の教員になってはいけない」っていうのは、おかしい。
って、思うんだなー・・・と、「教養脳を磨く!」を読んで思ったりしたのでした。
この本面白いから、オススメだよ。
「教養脳を磨く!」 林望・茂木健一郎 (NTT出版)



Recent Comments