言葉って
言葉の話となると、ついアツくなってしまうMOCHAだけど。
方言をいろいろ見てて、やっぱり言葉って、その土地の文化をあらわしてるよなぁ・・・と思う。
というか、方言を標準語になおすのって、びみょーにニュアンスが変わるよね。
こないだ書いた神戸の方言「照れくさい」も、標準語になおすと「恥ずかしい」かもしれないけど。
でも、ニュアンスが違う。
だって「親にあらたまって感謝の言葉を言うのは恥ずかしい」っていうのは「照れくさい」でいいけど。
「うちの子が万引きしたなんて、恥ずかしい」っていうのは「照れくさい」じゃない。
そういえば、脚本家の三谷幸喜さんが「いぼる」って言葉を「標準語に出来ない」と書いてた。
深く積もった雪に、ずぼっと、足が「いぼる」んだそうだ。
「沈む」とも「埋まる」とも違う、「いぼる」感じ。
これは、雪が積もらない地方の人には、わからないかも。
雪国には、雪の状態をあらわす言葉がいっぱいあったり。
アメリカには、牛をあらわす言葉がいっぱいあったり。
イヌイットの言葉には、いろんな種類の「白」があったり。
何十種類もの「白」を使い分ける文化って、なんだか、すごいよね。
ミーハー根性だけど、ちょっと憧れる。
(でも、本来「それだけ、他の色彩に乏しい環境」ともいえるわけで、安易に「憧れる」ようなもんじゃないと、MOCHAも思う)
言葉の使い方一つで、その人が何を大切にしているかがわかったりする。
また、何を大切に「せざるを得なかったか」ということが、わかったりする。
言葉の研究は、そのまま、ヒトの研究だね。


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